いつの間にか、物事をいいこと、わるいことで分けるようになっていた。
自分の思い通りに進んだから、これはいいこと
思い通りに進まなかったから、これはわるいこと
それが間違っていると思い至ったのは、師匠の姿を見てからだ。師匠は起こる全ての物事からメッセージを受け取ろうとする。そのために、とにかく内省される。それが起きた時の環境はどうだったのか、状況は、プロセスはどうだったのか、いつもと何が違ったのか、自分の精神状態はどうだったのか・・。聞けば高校生時代、柔道でオリンピックを目指して練習していたけれども、結局オリンピックには行けなかったことの内省を、今でも続けているとのこと。そしてそこから導き出されるメッセージは、年を経て、変わりながら、今なお新たなメッセージを届けてくれるのだと言う。
こうして日々起きる出来事を受け入れ、内省し、メッセージを受け取ろうとし続ける姿を見ていると、起きる出来事には全てメッセージがあるのだと思う。そして内容によっては、「いいこと」だと思ったことも「わるいこと」になりうるし、その逆もまた然りである。自分の基準というものが、いかに曖昧なものかと思う。
やるべきは、起きる出来事が伝えてくれるメッセージを受け取ること。
そういえば、「今」という言葉は、英語だと present だ。贈り物という意味のプレゼントと同じである。もしかすると「今」起きている出来事は、メッセージを与えてくれるプレゼントなのかもしれない。