自己紹介

末広美奈子

慶應義塾湘南藤沢高等部、慶應義塾大学商学部卒業。 ITベンチャー企業でエンジニア、テクニカルセールスとして仮想化技術を駆使したサービスおよびクラウドサービスの立ち上げや海外展開に携わる。2010年から、アメリカの製薬会社にて、黒人由来の遺伝病である鎌形赤血球症の薬の治験および市場展開のために従事する。その後、家族の介護のため5年ほど仕事から離れている間、農業に関心を持ち、2022年から長野県にて自然栽培の研修を受ける。2023年10月に丹波篠山市に移住して新規就農、2024年1月から高坂鶏農園の高坂英樹氏に弟子入りする。兵庫県生まれ。

農業に興味を持ったきっかけ

農業とは縁もなく、普通に会社員として働いていた私が、農業に興味をもったきっかけー

それは、アメリカの製薬会社で働いていた時のことです。黒人の遺伝病に鎌形赤血球症という病気があります。赤血球が突然鎌の形になってしまう病気で、大変強い痛みを伴います。現在は遺伝子治療の研究が進められているものの、あまり有効な治療方法が確立されておらず、多くの患者がその苦痛に耐えきれず、自殺してしまったり早く亡くなってしまう恐ろしい病気です。

この病気にあるアミノ酸が有効に働くことが発見されました。そのアミノ酸を作る原料となるのがサトウキビです。サトウキビから採れる糖蜜を発酵させてできたものが、現在、鎌形赤血球症患者の薬としてアメリカをはじめとした海外で利用されているのです。

これまで作物としての生産だけでは需要が伸び悩んでいたサトウキビでしたが、薬としての利用が始まることで、高付加価値がつき、需要も大きく増加しました。

農業が、科学との融合によって、作物だけでなく、薬という新たな形で、人々の病気の苦痛を和らげ、生活をより良くしていくのを目の当たりにした時、私は農業が秘める可能性の大きさに興味を持ちました。そして、いつか機会があれば農業に携わってみたいと思う気持ちが生まれていました。

高坂英樹氏との出会い

私が高坂氏に初めてお会いしたのは、2023年12月末のことでした。丹波篠山に農地付きの物件を購入した際にお世話になった桑原地区に住む谷掛氏に紹介いただきました。

ちょうどその頃は、高坂鶏農園に対して、篠山市と一部の住民が取り沙汰していた「桑原公害問題」の裁定が総務省公害等調整委員会の現地調査によって「付近住民らの主張する悪臭・騒音による生活被害は生じていない」という判断が下され、全面的に髙坂鶏農園の主張が認められ、勝利したタイミングでもあり、谷掛氏からタイムリーにお話を伺っていました。

谷掛氏によれば、「桑原公害問題」で、篠山市が髙坂鶏農園に対して総攻撃を仕掛けていた時も、無実を晴らそうと必死に奮闘し、村八分にまで追い込まれた谷掛氏とは対照的に、高坂氏はこの騒動にかかる弁護士費用、京都ブランドに向けた取り組み経費を算出して、費用対効果としてメリットの大きさを計算していたそうです。「まるで他人事」谷掛氏が、呆れた表情を浮かべながらも、高坂氏の悪口を嬉しそうに話すのを、私は延々と聞いていました。

実際、高坂氏にお会いした際に、公害問題についてどのように考えているのか、興味本位で聞いてみたところ、こんな返事が返ってきました。

「貧すれば鈍する」だが、今、過疎地域や農村に必要な精神は「貧すれど貪せず」だ。

「知能」の前では「印象操作」など無力。篠山市の問題など「取るに足らない」。

大事なことはここから始まる。

私はその時、これからの日本の農業にとって本当に大切なことが今、ここから始まっているような、まるで一緒に同じスタート地点に立っているような不思議な気持ちでした。

高坂英樹氏に弟子入りした理由

1)科学をベースにした農業

除草剤や農薬を使わない、という自然栽培の考え方に強く賛同し、長野の農学校で2年自然栽培を学びました。しかしその中で、小さな違和感を持つようになりました。作物の生育がどうであっても、どういう環境下でどういう結果が出たのか、データをとって深く調べることをせず、「自然が相手だから」で済ませてしまうことが度々あったことでした。

大学時代は、ゼミの恩師に「データに誠実であれ」とよく叱られていたためか、データをつきつめない姿勢に「このままの考えで続けていては、作物の品質も供給も不安定のままではないか?」と、自然栽培の考え方に疑問を持つようになりました。

高坂氏は、小説としての農業、それはそれとして、入口として非常に重要だと言います。ですが、その先では、「実態的農業」に移行するべきだと。即ち 何度も何度も仮説を組み立て、それがうまく行くかどうか検証を繰り返す中で、より良い品質のものが生み出された時のデータ、逆に悪くなった時のデータ、双方のデータを見比べながら、その仮説を立てた時の自身の思考を分析し、経営状況、精神状態もどうであったかを記録して行き、悪い時の経験を糧にして、反省こそが改善につながるもっとも大切なものづくりの基本技術であり、日本人の本質的な思想である「農法」を完成させると断言します。

思想と自然科学、その土台に、反省、改善を積み重ね、実直にストイックに実践する中で、日本の鶏がいつの間にか世界一と呼ばれるまでになっていた、その科学的な研究をベースにした姿勢は、私が自然栽培に対して持った疑問を見事に払拭してくれるもので、同じく自然農法の入口からスタートした高坂氏から、その独自の手法や思考を学ばせていただきたいと思ったのが理由です。

2)農家として成功

現在、日本のほとんどの農家が、農業だけでは食べていくことができていません。農業に大きな可能性を感じていた私も、その現実に直面し、いつの間にか「自分が食べていける分だけ作れたら・・」と小さく考え始めていました。

そんな中、高坂氏は養鶏において、世界一のブランドを築き上げ、夫婦で年間2億以上を売上げています。この売上げは、農家経営としては、日本全国で上位1%以内にあたります。

農業は慈善事業や小説ではなく、正真正銘のビジネスであり、顧客と消費者の幸せを見据えながら高付加価値の商品を作り出すこと。そして、農業にはその可能性がまだまだ十分にある。

農家として成功されている高坂氏を見て、また、それを支え学ぼうとしている京丹波町の皆さんの輪に加わりたいと。私自身、農業にもう一度希望を抱きつつ一緒に仕事をさせていただくと決めました。

3)経験と知識のデータ化

高坂氏がこれまで積み重ねてこられた農業技術や経験、全国は北海道から沖縄まで渡り歩いて得られた農業の知見、それらのデータと情報を、後見人として私が整理して、今後農業を志す人たちに少しでも参考してもらえるためのお手伝いをしたいと思っております。